よもやま人 vol.1 沖澤 鈴夏(おきざわ すずか)

プロフィール
北海道生まれ、千葉県育ち、宮城県在住。大学卒業後、新卒で南三陸のホテルに就職、仙台のイベント会社、宮城県の中間支援団体を経て、現在に至る。プライベートでは、ドライブや温泉に行くのが好き。最近のおすすめは、宮城県南の白石市「材木岩」。特技は「書道」。
ー特技は書道と伺いました。
書道の作品を書くことで、自分なりの表現を考え続けています。今ちょうど2個作品を出していて、一つが入選して、2021年3月に東京都美術館に飾られたんです。
―すごいですね!どのくらいの頻度で書いてるんですか?
毎日書いたりはしていないけれど、自分の目で見たマガン(渡り鳥)の飛び立ちを書道で残したいなと思い、「天翔ける渡り鳥」と書いて書道展に出展したことがあります。

右から二番目の作品「天翔ける渡り鳥」
―表現したいという思いがあるのでしょうか?
せっかく宮城に来て多くの自然や人に触れているから、そういう感動した景色や出来事を、書道の作品にできないかなっていう想いがありますね。
宮城県に来たきっかけ
―縁もゆかりもない宮城で働くことにしたきっかけは何ですか?
大学2年生の時に養殖わかめのボランティアで南三陸に来て、2年連続でそのボランティアに参加しました。
その2年目がちょうど就活のタイミングで、宮城での様々な出会いが忘れられず、卒業後に新卒で南三陸のホテルに就職しました。そこで4ヶ月働いて、その後フリーターをしながら転職活動をして、仙台のイベント会社に勤め、その後みやぎ連携復興センターという県域の中間支援団体に入って、今に至ります。
―宮城での活動の思い入れの原点は何ですか?
初めはボランティアとして宮城に行きましたが、私は逆に宮城で出会った方々に、言葉では表せない沢山のものをもらいました。見守られ、育ててもらったという感覚もあったから、やっぱり恩返ししたいなと思って。

南三陸のわかめ漁師さんと
―鈴夏さんが大切にしているもの(or 価値観)を3つ教えてください。
とにかく行動する。現地に行って、自分の目で確かめることが軸としてあります。大学時代、地理学を専攻していて、各地へ調査しに行くフィールドワークの授業がありました。学科の理念にも影響を受けた部分も大きいですが、とりあえず行ってみないとわからない、という思いが強いです。それもあって宮城に来たというのもあるかな。
2つ目は、物事を幅広い視点で考えること。それも地理学科の影響で、地理にもいろいろなジャンルがあって、多様な視点から物事を考えることができるのが地理学でした。だから勝手に刷り込まれてるっていうのもあるかも…(笑)
3つ目は、いろいろな人や考え方があるけど、とりあえず受け入れてみる、ということ。「あれは嫌いだから無理」と思ったらそこで終了だから、まずは何事も受け入れてそこから始めようという感じです。
前職の中間支援では、多くの組織や人と関わることが多かったから、多様なモノ・コトと連携・協働する時に、この姿勢がやっぱり大切だなと思いました。
丸森町との出会いは…
―鈴夏さんはよもやまカンパニーで何をしているんですか?
地域コーディネーターとして活動していて、「丸森まるまる円卓会議」の企画や運営をやっています。

「丸森まるまる円卓会議」の様子。
―鈴夏さんが、ヨモヤマカンパニーで活動しようと思ったのはどうしてだったんですか?
2018年の秋にヨモヤマカンパニーが主催しているフィールドワークに偶然参加したことで、丸森町とのつながりができました。そんな中で台風災害が起きて、ボランティアセンターの手伝いを少しして、仲間が暮らす土地で、仲間と一緒に自分も何か力になりたいなと思って来た感じですね。
―それでも転職することは、大きな決断だと思います。転職するほど丸森に来ようと思ったのはどうしてなんですかね?
前職でたまたま丸森の仕事に関わって、丸森町の地元の人や役所の人たちと仕事をしていく中で、町の全体感が見えたし、すごく仕事がしやすかったこと。あと、ヨモヤマカンパニーが運営している社会人向け人材育成プログラムの「伊達ルネッサンス塾」に一参加者として参加して、丸森町の地域おこし協力隊の人や、地元の人とも交流できたことも大きかったです。
―ヨモヤマカンパニーは鈴夏さんにとってどんな場所ですか?
一緒に地域で活動していく仲間がいる場所。
メンバーもそうだし、活動を応援してくれている人が「まどい」に来てくれたりするんだけど、そういう人たちも含めて仲間が集まっている場所ですね。
変幻自在に生きていく
―鈴夏さんにとって「生きる」ってどういうことですか?どういう瞬間に「生きている」と感じますか?
人に左右されずに自分で決めた道を進んだ時。あと、大変な時や苦しい時があっても、やってよかったという達成感とか喜びを感じられた時です。

鈴夏さんの作品「生きる歓び」
―鈴夏さんのSNSを見て、「いまを生きていきたい」「誰にも代えられない自分らしい人生を」などの言葉が印象的でした。どうしてそんなふうに考えられていると思いますか?
新卒で入社したホテルを辞めた後の期間はしんどくて、鬱っぽくなって…。その時、派遣の工場とかで働いてたんだけど、私はおじさんおばさん、お母さん世代と仲良くなるのが得意だったんです。私が辞める時に「一緒にやってくれてありがとうね」とプレゼントまでくれる人もいて、そういう人が何人かいますね。
そうやって様々な世代の人とコミュニケーション取れることが、地域でおじいちゃんおばあちゃんとうまくやっていくことにもつながってると思うから、人生いろいろあるけど、全部つながってると思えてます。
―鈴夏さんはどんな未来を思い描いていますか?
立場や世代、関係なく、一人ひとりがいろいろなことを学んだり挑戦したりする気持ちを持ち続けられる社会になったらいいと思ってます。
―「立場や世代、関係なく」という視点はどういうところから来ているんでしょうか?
前職では、区長や町内会長と話す機会が多くて、「若者がいない」「担い手がいない」という声がよく聞こえて…。一方、ヨモヤマカンパニーでは高校生マイプロジェクトなど若年層とのつながりがあって、地域にたくさん若者がいることを感じて、分断がおきているなと思っていました。
たしかに若者が減っている傾向はあるんだけど、地域で何かやりたいと思ってる人が0ではないと感じてます。例えば、若者の活動と、おじいちゃんおばあちゃんたちの「この伝統は後世に伝えていきたい」という思いを、うまく組み合わせられたらより良くなるんじゃないかなと思ったり…。
―お互いもっと存在を知ったら、活かしあえそうですよね。
鈴夏さんはヨモヤマカンパニーでこれから何にチャレンジしていきたいですか?
多世代をつなぐコーディネーターとして、私は支援者ではなくて一緒に歩んでいきたいというスタンスなんですよね。主体者や支援者の枠にはめ込まれるのはすごく窮屈だなと思うから、「支援者ではない中間支援」的な動きをしていきたいと思ってます。
それは「伊達ルネッサンス塾」で「自分とは?」という部分を突き詰めて考えてはっきりした部分で、役割としてコーディネーターや支援者の側面はあるかもしれないけど、「やっぱり私は何者でもありません!私は私だ!」というところに落ち着いて。それが今もしっくりきている感じです。

「伊達ルネッサンス塾」第6期、最終発表会の様子。前方の作品は、鈴夏さんの作品「変幻自在」
―最後に、この記事を読んでくれた人におすすめしたい、この地域ならではのモノ・コトはありますか?
丸森町の大張地区の沢尻の棚田米が、甘くておいしかったです。日本の棚田百選にも選ばれていて、棚田が石垣になっててすごくきれいなので、是非!
―ありがとうございました。
聞き手・構成・編集:茂出木 美樹
ディレクション:鎌田 千瑛美